【49歳の転機】自分のことは気付けない。反抗期の娘に救われたのは自分たち

Profile

ペンネーム: ffr

転機の年齢:
49歳
現在の年齢:
55歳
性別:
男性
職業:
自営業

Before

遅く授かった娘が反抗期に。その理由は…

一人娘が変わってしまった。

私と妻は同い年、私達が結婚をしたのは一般的に結婚適齢期と言われている20代半ば、結婚前から子供を授かることを望んでいたのだが中々出来ず、娘を授かったのは35歳の時。

遅くして授かった子供のため可愛くて仕方がない、また、心配で仕方がない、この思いは祖父母も同じ。幼い時の娘はスイーツが大好きだったため、給料日には必ず娘が好きなケーキを仕事帰りに買って来て、それを娘は喜んで食べてくれた。

小学校までは親が行くところに必ず付いて来ていた娘だが、ファッションに興味を持つ中学2年の春頃から娘は変わり始めた。

中学2年の秋になると娘が着る洋服のセンスが変わった、髪型も変わった、冬休みに入ると娘の髪は茶色くなった、校則に反して。

この頃から太るとの理由でスイーツを食べなくなった娘、代わりに激辛なモノを好むようになった。

中学3年になると妻が学校に呼び出され、その3日後、両親揃って来るようにと父親の私も呼ばれた。呼ばれたのは娘が学校に行ってないから、不登校になっていたことを知ったのは、その時が始めて。

娘が香水を付けるようになった、良い香りをさせるためではなくタバコの匂いを消すため。

タバコも激辛料理も成長期の体に良くないため注意をしたのだが、反抗期なのか耳を傾けない娘。

再び両親揃って学校に呼び出され、医療機関で一度診てもらうことを勧められた。

誰もが反抗期を迎えると思っていた私は娘を医療機関に連れて行くことに躊躇していたのだが、学校を休む(不登校)には口実(診断書)が必要なため、嫌がる娘を無理やり医療機関に連れて行った。

私達夫婦が娘を連れて行ったのは、反抗期の子供を得意とする心療内科。

反抗期の娘を連れて来ることは事前に打ち合わせ済み、カウンセリングは娘とドクターの二人きり、私と妻は娘が暴れないか気が気でなかった。

Turning point

医療機関の受診が人生の転機に

診断結果は鬱。

反抗期は病気ではなく、鬱と診断されたのは私と妻、このことが私達夫婦のターニングポイントになった。

私も妻も自身が鬱だとは全く気付いていなかった、そのことが思春期の娘を苦しめていた。

診察を受ける前までの娘は私達夫婦のことを子育てに熱心な両親と思っていたのだが、鬱と診断されてからは両親のことを病人と見るように変わった。

病人の両親を二人きりにさせるのはマズイと思ったのか、遊びに出ることがなくなった娘。

鬱と診断されるまでの食事は買ってきた弁当で済ませることもあったが、病人に買ってきた弁当はマズイと思うのか、娘が料理をするようになった。

自分ペースで生きてきた一人娘が、両親の病気がきっかけで両親のペースに合わせるようになり、食事も激辛から病人に優しいものに変わった。

私達夫婦に処方されたのは鬱の症状に効くとされている抗うつ薬、しかし、頂いたクスリを服用してもイライラする気分は抑えられない、そのことを一番分かっているのは身近にいてくれる娘。

私の調子が良くても妻がダメ、妻の調子が良いと私がダメ、夫婦揃って鬱だと面倒を見る娘は大変だったろうが、気付けば娘の髪は黒色、不登校もしなくなった。

私たちのことを考えて娘が食事について考えてくれるようになった

After

娘の食事はクスリに勝る

鬱の治し方をネットで調べたり保健室の先生にも聞いてくれた娘。鬱の緩和に役立ったのは食事を見直したこと。

鬱になると下痢・便秘・吐き気など胃腸の調子が悪かったのだが、胃腸に負担を掛けない食事を娘が用意してくれるようになると、胃腸のコンディションは良くなり鬱の症状は夫婦揃って落ち着いた。

セルトニンという伝達物質が減ると鬱の症状を引き起こす。そのセルトニンは消化器官に多く存在するため、胃腸に負担を掛けない食事は鬱対策に間違っていなかった。

親子で胃腸に負担を掛けない食事をするようになってからは、穏やかな暮らしを送れています。

家族が転機の関連記事